匂いの表現は難しいなあ


前にも書いたかもしれないが、私は障害者である。
嗅覚がほとんど感じられない。
鼻の近くにキンカンを持っていくとやっとわかるというぐらいである。
しかしである、私は障害者手帳を持っていない。
それぐらいはどうっちゅことないやろうという
お上の判断なのである。
確かに日常生活でさほど困ることはないのだが、
やはり具合の悪いことはけっこうある。
例えば寝ていて火事が起こったとする。
そういう場面でいち早く異変に気づくのは実は鼻の力なのだ。
したがってその能力の無い私は多分逃げ遅れてしまうのだと思う。
命には関わらないが困ることも多い。
まずは朝起きてすぐのコーヒーの香りが判らない。
パン屋にいっても焼き立てのフランスパンの臭いがしない。
たまに、はり込んでロマネコンティを買っても
1000円のワインとさほど変わらない。(そうとう見栄をはってます)
新そばを食べても昔ほど感動しない。
「食べ物だけかいな」と突っ込まれそうだが、それだけではない。
森に立ちこもる木の香りも、海のしょっぱい匂いも、
多分一生嗅ぐことは無い。
私は料理を作るのが趣味の一つだが、
出来上がりを知るサインは香りであることもけっこう多いのである。
でも今となってはそれで落ち込むことも無くなった。
ものは考え様である。
エレベーターで臭いおならを放出されても私は全然平気である。
変化することはいいこともあり悪いこともありであり、
それをそのまま受け入れるしかないのだと私は思っている。

shinya