忘れていなかった人に会いに来た

忘れてはいなかった。けど心の片隅で微笑んでいた人がいた。
その人は私がニット手芸を教えていた時の生徒さんだった。30年くらい前の若者はほとんど会社勤めの後、習い事をしていたものだ。
勤めの後我が家に習いに来るのだが、ひとりで大阪に住む彼女は夕飯を食べずに来ていた。だから良く一緒に食卓を囲んだものだった。
その彼女が突然のお見合いで奈良の黒滝村に嫁いで行った。でも、忘れずに二人で遊びに来てくれた。私の結婚祝いも届けてくれたっけ。そして子供が生まれた。一年遅れて私も息子が生まれた。その翌年に喪中はがきが届く。名前は何と彼女。びっくりし電話をした。胃癌だったとか。息子さんは1才8ヶ月だつた。
それからは年賀状の遣り取りになったが、一言の添え書きには息子さんの事、ご主人の仕事の事があった。彼の仕事は木工師だった。
もともと木が大好きな私は忘れられなかった。  それがついこの間、偶然が重なって黒滝村に行ったのだった。

黒滝川に沿って走ると彼女の声が聞こえる。「先生、一遍遊びに来て。ホタルがいっぱいいるよ」と言っていたっけ。
やまの霊気が覆いかぶさる。空気は優しく、木の香りが私を包んでくれる。
黒滝村道の駅から電話をする。
そして工房と言うか、家に案内してもらう。
すごい! 戸を開けたとたん香木の香りが髪の毛の一本一本まで沁みこんでくる。
ああ ここで彼女は生活し、子供を産んで幸せの中死んだのか。

息をするのも苦しいくらいだった。
仕事場は雑然としたように見えるけどしっかり息づいていた。
その中でその人は円空仏を彫っていた。     続きは後で   M.Y