I think that,,,,,,,,,,,


今日はアートについて考えたことを書こう。
ちょっと前に石田徹也という作家のことをブログで紹介した。
最初にテレビで見たときに私は強烈なインパクトを受けたのだが
同時にその時思ったのは
この作家が今も生きているのかどうかという疑問であった。
番組が進むにつれすでに彼が違う世界に行ったことをしり
やはりそうだったのかと思った。
それと同じような経験を今までに何度かした覚えがある。
一番最初は「ウッドストック」の映画の中で
ジミ ヘンドリックスを観たときだと記憶している。
すでにちょこちょことギターを弾いていた私は
こんな恐ろしいギターを弾く人間が長く生きるわけがないと
なぜか直観で思ってしまった。
後で調べるとやはりその通り
彼は旅立っていた。
絵でも音楽でも、それ以外の表現方法の中にも
そういう印象を持つ作品やアーティストがいる。
そのような要素が絶対条件だとは思わないが、
私は自分がそういうものに引き付けられるのを感じる。
そこで振り返って身近なマサヒロのことを考えてみた。
彼はユニークではあった。
当り前ではない言動や行動もあったが、
それは破滅的というものでは無かったと思う。
悩みも抱えていたが、
それも今の日本の状況から考えて、
青年の誰もが持ちうるようなものだったと考える。
作品を眺めると、「殺人」や「ゾンビ」などの文字があり
血の流れた人がいる。
しかしそれは決して恐ろしいという感情を
見ているものに想像されるものでは無く、
むしろ彼独特のユーモアに包まれた
「優しさ」を
私は感じるのである。
だから石田徹也やジミヘンから受けたようなものを私は彼の絵からは見いだせない。
彼の作品は(マサヒロ本人はこれは描きたくて描いただけで作品では無い!というだろうが)
ある意味で踏み絵のようなものである。
表面だけを捉える人は右に向かい、本意を直観で捉えた人は左に進む。
共感出来ないのにわかったようなコメントを言う人のベールを剥がしてしまう。
それを観るのはけっこう楽しい。
彼がいまこの世界にいたらどんな絵を描いたかと想像するのは面白い。
でもそれが現実にはあり得ないとしても残念だとは思わない。
彼は20年少しの人生を完結したのであり、
しかもたくさんの作品を残し、
私達はそれを見て、影響を受ける。
自分がいなくなったときに何を残せるのか?
それを私も考える。

shinya