中山家のこと


私の横で上半身裸でくつろいでいるのが
私の古い友人である、中山君である。
18歳でお互い出会った時は
私はいなせなミュージシャンであり、
彼は田舎から出てきた純朴でガリガリの青年だった。
彼は建築の仕事をしているので、
今でも胸板は厚いのだが、
腹板はもっと厚い。
喜界人の言葉を理解するのは非常に困難である。
私たち向けにゆっくりと標準語を交えて話してもらった時は
半分くらいわかる。
地元の人同士で普通に話していると
冗談では無く、ほとんど何を言っているのかわからない。
多分沖縄言葉と同じくらい普通の日本語とは
離れていると思う。
その上沖縄人が比較的ゆっくりしゃべるのと違って
彼らはかなりの早口である。
そしてかなり口が悪い。
彼の2番目の奥さんとは今度初めて会ったのだが、
二日目に、私が軽いジョークを言うと、
はき捨てるように「馬鹿か」と小さくいったのを
私は聞き逃さなかった。
もちろん言われても仕方ないような
取るに足らないギャグであったのは認めるが。
その口の悪い奥さんを始めとして、
中山家の二人の娘やそれのボーイフレンドや
シモネタの大好きな時計屋のおばさんや
近所の人達が毎日のように登場して、
島での賑やかな毎日が続いていくのであった。

shinya